「嫌になったら帰って来い。でもお前はやれる奴だ」
最初、施設まで向かう車の中で父親からそう言われた。
「嫌になったら帰ってこい」
施設に入り、最初の2,3年はその言葉に囚われて、プログラムどころか全てに全く身が入らなかった。自分にはまだ戻れる所、帰れる所があると思っていた。自分に都合の良いように言葉を解釈して家に帰れる日を待った。
でも、待っているだけで何もせず、時間だけが過ぎていき、もちろん歳もとった。結果、気づいたらそうしている間に5年が経っていた。
施設の行事で久しぶりに親に会う機会があり、「あなたはもう仲間の中でやっていきなさい」と言われ、その言葉は自分には重く、冷たいようにも思えた。
同時に親に対して、こんなに毎日プログラムをやっている俺より、ずっとプログラムが入っていると感じた。
それを機に、もうやるしかないと覚悟を決めた。自分に足りなかったのは、ここでやっていくという覚悟だった。そこに気づくことができたのが、ちょうど6年目のクリーンを迎えた頃だった。
でも、そんなに急に変われるものでは無い。本当に苦しい、逃げたい。こんな気持ちが毎日続くことだってある。薬が止まっているのに素面で苦しい思いをしないといけないのかと、思う事もある。
今まではなんとなくで生きてきた。過去を振り返ると、自分には欠点が見当たらない。どこも悪くないし、生きづらさなんてものは無い。できる人間だと思い込んで生きてきた。過去の記憶は怖い。だって施設に繋がってから、何一つ自分の思い通りに行った試しがないからだ。
今だってそうだ。出来ない事が出来る様になって、出来ていた事が出来なくなる時もある。自分の考えを使い、行動し、そして暴走する。そして誰に言われても自分の考えを使うことを止めない。
走り続け、頭を打った時に初めて気づく。その繰り返しを今もしている。よくなりたくて、成長しようと頑張っている。でもそれは、自分の考えを使うことを頑張っているだけだと仲間から言われて、気づけた。ずっとやれているつもりになっているだけだった。
先行く仲間からは、いい加減に出来ていないことを認めろと言われ続けている現状。クリーンが8年経ってもこういった基本的な事を意識してやっている。自分はできない奴なんだと思う反面、逆にこれからまだまだ良くなるし成長ができる、伸び代があるとポジティブに考え、前向きにやっている。
やれないんじゃなくて、やろうとしていなかった事、誰にでも初めての事はある。今までやってこなかった事にどう向き合うかで今日一日が変わる。そう思ってます。自分自身に飽きないためにも、常に変化を求めてプログラムをやっていきます。