【NewsLetter264】支援する会から 薬物依存症家族 サスケ

家族としての体験

 家族としての体験を書きます。十数年前になりますが、息子がうつ病ということで精神科クリニックに通院していました。私も時間が有れば一緒に行きました。何軒かのクリニックにも行きました。しかし、同居していて何かおかしいと感じるようになりました。処方薬を大量に飲むようになっていました。

 部屋にはお酒、風邪薬、もちろん処方もありました。自傷行為もするようになり、家の壁を破ることもありました。相談する場所がなく大変でした。

 勇気を出して警察署に何度か行き、又保健所にも行きました。

 そんな中、誰か覚えていませんが精神病院に入院してはと言われ、本人も承諾し、入院しました。入院すればよくなると思いほっとしました。

 しかし、病院のドクターからは2ヶ月過ぎた頃、この病院ではなく他の病院で受診してはと言われ、2ヶ月半で退院するようになりました。

 福岡県のN病院に通院し、入院するようになりました。またほっとしました。その反面、不安でした。2ヶ月過ぎたら退院し、よくなると思いました。

 しかしそう簡単には行きません。なんでこうなった、育て方や愛情のかけ方の問題とも思いました。そんな時、病院のスタッフからだったと思いますが、九州ダルクの事を知りました。そして薬物依存症という事を知るようになりました。

 ここに来るまで2年くらいかかったと思います。九州ダルク家族会に参加して、薬物依存症が簡単ではない事や、家族の対応で本人の回復に邪魔になる事、同じ様に苦しんできた家族の話も聞きました。私たち家族も大変だった事、不安なことを他の人に話す事が出来ました。

 なかなか、「うちの子は薬物依存症です」と話す場がなく、身内でも話ができませんでした。

 入院のN病院も4回入退院を繰り返していました。退院して1週間くらいした時に家で暴れました。以前から、警察に身の危険を感じる時は連絡してくださいと言われていて連絡しました。

 警察に保護され、保健所からも立ち合いのもと措置入院となり、精神病院で改めて診察を受けました。そして措置入院先がN病院になり、そこでやっと九州ダルクからスタッフ面談が始まりました。

 最初は嫌がっていました。病院面会も行かないでくださいとアドバイスを受けました。少しずつ親としてやってはいけない事、本人の回復の邪魔にならない様にしました。

 九州ダルクで2ヶ所のダルク入寮先を提案され、暖かい地方の施設に入寮していきました。本人の回復は本人に任せる。そんな気持ちになりました。まだまだ回復にはいろいろなドラマがあり、継続中です。

 私は薬物依存症の事を良く知り、まだ多くの薬物依存症で苦しんでいる家族に寄り添いたいと思っています九州ダルク家族会に、家族の自助グループナラノン、県の精神医療センター、精神病院の家族教室などで新しい家族と出会います。そんな中で家族の回復も少しずつあるのかなと思っています。

 それから最後に九州ダルクを支援する会にも参加しています。献金もよろしくお願いします。

カテゴリー: 264号(2023年6月), ニューズレター パーマリンク