【NewsLettr162】薬物依存症のサル

 1月16日に、闘病中であった秀光さんが天国に行ってしまいました。秀さんとの付き合いは、自分が刑務所を出所し、その足で九州ダルクに来た時からです。

 初めて見たときに、「何だこの人相の悪そうな人は」と思いました。しかも、去年の11月にすい臓癌で手術をしたばかりと言っていて、2か月ぐらいで動けるものなんだと思いました。

 九州に来た時、刑務所から出てきたばかりの自分は、着ている服しかなく、買いに連れて行ってくれたのが秀さんでした。出所した日だったのと、刑務所の中での処方遊びのせいでボケていた自分は、秀さんに訳の分からないことを言っていたと思います。

 レジで並んでいるときに、小さい子にちょっかいを出されたとき、「ダルクの入所テストに子どもを使うんですか?」と言ったら、目を丸くしていました。

 ダルクの生活が初めての自分は、生活に慣れることで忙しく、気にならなかったけど、そのうちに秀さんの憎まれ役にはまってしまい、秀さんのことが嫌いでした。いろいろとうるさいし、プログラム的なことしか言わなかったりと、嫌な人だなと思っていました。

 自分のクリーンが6か月ぐらいになったとき、秀さんに直接話に行ったことがありました。自分も頭にきていて「あんた汚いぞ」と、その他もいろいろ言ったら、秀さんが「わかった、ハンバーガー食べにこう」と言ってモスバーガーをおごってもらったら、この人、意外にいい人かもと思い、怒っていたことなどどうでもよくなってしまいました。

 その件があって以来、秀さんと2人でメッセージなど出かけることが多くなり、行く先々でラーメンなどおごってもらっていたら、秀さんのことが好きになっていました。

 秀さんの憎まれ役が分かってきたのもこのころで、言わなきゃいけない立場なんだと理解できるようになってきました。

 仲間たちと毎年行っていた長崎の海や、熊本の温泉、神父さんたちとのソフトボールと、秀さんはいろいろな思い出を残してくれました。

 秀さんが天国に行ってしまったとき、自分たちは看取ることができ、これでゆっくりと休むことができるんだね、良かったね、と思っていました。だけど、ダルクのミーティングのとき、秀さんと写っている写真を見ていたら涙が止まらなくなっていました。

 よく秀さんが言っていた必要なものは与えられると言っていたけど、秀さんからはいろいろのものを貰えました。出会ってから3年ありがとうございました。

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