【NewsLetter192】薬物依存症のカズ

ダルクに来て4か月になります。九州に来る前は、関西で美容室を経営していました。

自分の店を出してから覚醒剤を覚え、売り上げを誤魔化して薬を買いに行ってました。薬を止めたくて何度も自分なりに色々考えて努力しました。考えついたのは薬の事を忘れようと思い、釣り、サーフィン、ギャンブル、女と試したが、釣り道具もサーフボードも薬代に変わり、パチンコで勝てば薬を買いに行き、どれも薬を使う手段になっていました。

何度も嫁に頭を下げ許してもらったのですが、最後に使った時は「刑務所に行くか、ダルクに行くか決めて。」って言われました。その時は3日間寝ないで薬を使っていたので、頭がボーっとしたままダルクに行くって言ってしまいました。

それから1週間後に、嫁と従兄弟の子と飛行機に乗り福岡空港に着きました。約束の時間まで1時間ぐらいあったので、3人で食事をして約束の時間前に待ち合わせの場所に行きました。

自分の予想では、迎えに来た人と何処かの店でコーヒーでも飲みながら、契約してお金を渡すと思っていたのですが、その場で別れて自分だけダルクに行くって聞かされました。

そのことを嫁に告げると、泣き出し、辛そうだったので握手をして「母親と子供の事を頼んどくな。頑張ってくるから。」とだけ言い残して車に乗りました。この時ダルクって「冷たい所やなぁ。別れもゆっくりやらしてくれないのか。」って思いました。

それからダルクに着き、仲間達と会ったのですが、皆がハグをしてきたのでびっくりしました。その夜、初めてNAミーティングで話をしたのですが、辛さと寂しさと自分の不甲斐無さに感情が込み上げてきて泣いてしまいました。

でも話し終えた後、仲間達が拍手をしてくれました。始めの2か月は1日1日が凄く長く感じて、夜もあまり寝れない日が続きました。そんな時は毎日施設を出ることばかり考えていて、ある日のNAミーティングで「明日、施設を出ます」って言いました。

その日の内に施設長の所に行き、その事を相談した所、自分の将来の事まで考えてくれてるし、施設長を熱い思いが伝わってきました。とにかく何日後かにあるTCCプログラムだけは受けてくれと言われ、何とか思いとどまりました。

その数日後、TCCを受けました。自分はもう大丈夫だと思っていたのですが、1番危険な状態だったのが分かりました。助けを求めない、簡単な解決方法を選ぶ、不健全な態度や行動、今までのやり方、治っちゃった病。世界で考える回復の危険な状態の5個が全て自分に当てはまっててびっくりしました。

あの時、施設を出て行ってたらきっとまた薬を使っていたんだろうなぁと思ったらゾッとします。今は施設にも慣れてきて、筋トレ、ソフトボール、ダーツ、サーフィン、フットサル等を楽しんでいます。

自分だけが楽しんでるけど家族は大丈夫かなぁと思いますが、今は自分の回復の事だけを考えて、毎日薬の事、自分の性格の欠点等と向き合って生活して行きます。

カテゴリー: 192号(2016年6月), ニューズレター タグ: , , , パーマリンク