【NewsLetter266】3年のバースデーを迎えて ノクト

 3年前、精神病院から施設につながりました。そのころは、自分の性別のことや将来の事、家族との関係に苦しんでいました。

 自分の思う様にならなし、人生にうんざりしていました。仲間たちとの共同生活を通して、問題は周りにではなく自分の生き方や考え方にあったという事、それをプログラムを通じて変えていく必要がある事を学びました。

 自分のどういった所に問題があるかを知る事も、受け入れる事も中々出来ませんでした。繰り返し相談したり、ミーティングで話したり、仲間と言い合いをしたりする中で、徐々に、自分のこういう所を変えて行きたいと感じられる様になりました。

 特に、自分がされた事にではなく、した事だけに焦点を当てるという事を学んで行った時に、初めて家族に対して自分が何をしてきたのかに気づくことが出来ました。

 それまでは家族に対して、されたと思うことやしてもらえなかった事、こうして欲しかったと思うことばかりでした。それが恨みになっていました。全て相手のせいにして、こうされたからお酒を飲むのは仕方ない。こうしてもらえなかったからお金を盗んでも仕方ない。両親のせいで自分の人生がメチャクチャになったと思っていました。

 だから、迷惑をかけても仕方ないし、迷惑をかけているとさえ思っていなくて、当然の仕打ちだと考えていました。

 本当の自分は、お酒を飲んだ時の、人と普通に話が出来、行動力があってなんでも出来る自信を持っている状態だと思っていたので、お酒を飲むなと言われる度に自分を否定されている気になり、余計にどうにかして飲む様になりました。

 ずっと被害者だと考えていました。でも、実は全部、自分で原因を作っていたことが分かりました。自分が望む様にならないと思ったとき、自分からこうしたいと言ったことも無かったし、困ったらなんでも相談して欲しいと言われても、「大丈夫」と言って誤魔化しました。

 それでいて勝手に、「してもらえなかった」や、「分かってくれない」と思っていました。自分が被害者ではなく加害者だと認めることが出来た時、今まで自分が誰かにしてきた事も、ほとんど全てが、自分の思い通りにしたい、望み通りに物事を進めたいという考えに縛られている事が分かりました。

 今も、そうした考えに囚われていると、仲間に指摘される事があります。どうしても自分が培ってきた価値感や「普通」が、絶対に正しいとおもったり、それを人に押し付けたりしてしまいます。自分の思うように人が行動しないと心の中で裁いてしまうし、人の考え方が自分の思う「普通」と違うと、説得しようとしていたりします。

 そんな考えをなんとか手放したいと思い、今は仲間に教わった「棚上げの祈り」を朝の祈りの一つにしているのと、朝と夜に黙想をしています。どうにか昔からの考えを手放して、仲間を受け入れられる様に、感謝の気持ちを忘れず、謙虚さと尊敬の気持ちを持ち続けます。

カテゴリー: 266号(2023年8月), ニューズレター パーマリンク