【NewsLetter162】薬物依存症のルーディー

 しばらく温かいなぁ、と思っていると、急に寒くなったりと、まだまだ体調にも気を使わされる時期ですが、相変らず九州ダルクのホワイトボードの予定表は赤ペンでびっしりと予定が書きこまれており、その中にもポツポツと青ペンで書かれた佐賀での予定が――。

 佐賀の刑務所メッセージや病院メッセージ、ダルクミーティングを開くための福岡から佐賀への道のりも経費節約のため高速は使わず、脊振峠を越え片道1時間半。

 この1年半、何度この峠を越えたことか。1日2往復することもあり、最初のうち、ただ遠いなぁ、と感じた道のりも、いつの間にか慣れ、山並みの景色、畑の収穫風景、流れる川面、決まった時間に流れるFMラジオの番組を楽しみにする余裕が出るようになっていました。

 それでもこの時期になると、朝早くのメッセージや帰りの遅い時間、峠越えの際の山頂の凍結があったりと、車の運転にもかなり気を使わされます。

 しかし、そういう時にも、昔、あんな運転をしていたなぁ、無茶しててよく今こういうふうに生きてこれたなぁと、プログラムに出会えたことを感謝する時間も与えられているような気がします。

 プログラムにつながったばかりのころ、ある仲間が「何度も何度も自殺をしようと、命を絶とうとしたけども、何度も助けられていた。生かされていた」という話を聞いて、「俺も生かされているんだ」と感動したこと、気付きをもらえたことをだいぶ時間が経った今になっても、再び車中で思い出しながら感謝すること。仲間が、祈りが感謝の祈りに変わると言っていたことを昨日の車中でも、ふと想いながら運転をしていました。

 最近のミーティングでもミーティング場に置いてあるノートを見ながら、こんなに長い間、多くのメンバーがこの会場に通い続けてくれたんだな、と。自分ひとりではこんなに長く継続することはできないよな、と思えた時、これも自分を超えた大きな力だな、ここに通って、いま生かされている自分は、大きな力に助けられてるな、と感じました。

 「自分より上の力の必要性」

 ダルクにつながった時に一番受け入れがたかった言葉でした。すんなりと受け入れられたら、もっと楽だったんだろうな、と今さらながら思いますが、受け入れないと踏ん張った時期も回復のプロセスには必要だったのかもしれません。

 大好きな詩の一節。

 「求めたことは一つとして与えられなかったが、願いはすべて聞き届けられた。神の意にそわぬものであるにもかかわらず、心の中の言い表せない祈りはすべてかなえられた。私はあらゆる人生の中でもっとも豊かに祝福されたのだ」

 ずっと祈っていたんだなぁと、ただ、心を開いて受け取ればよかったんだな、今では思えます。

 感謝。

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