【NewsLetter164】薬物依存症のタツヤ

 僕が初めて、薬物と出会ったのは15の時でした。初めて使った薬物はシンナーだったのですが、その時、僕は「世の中にこんなにいい物があったのか」と本気で思いました。

 その時まで、たぶん、僕は生きていて嫌なことが多かったのかもしれません。イジメを受けたこともあったし、学校でも本当にくつろげる居場所がなかったんですね。

 薬を使い始めたころ、僕はバンドを組み、ドラムを叩くようになりました。今もなんですけどセックスピストルズというパンクバンドが大好きで、そのバンドのベーシストのシド・ヴィシャスって人がドラッグで22歳位で死んだんですけど、その人みたいになりたいなぁ――なんて考えてたんですね。

 早死にするのがかっこう良いなんて思ってたんですね。それから20年間薬を使い続け、4回、刑務所に服役しました。20代の半分は刑務所にいましたし、合計で7~8年は塀の中なんですね。ただ、その間は違法薬物は止まっていましたので、結果的に良かった気もしますが、それでも処方薬漬けになっていた事もあったので、今となってはよくわかりません。

 二度目の刑務所を出て、茨城ダルクに30歳でつながったのですが、薬は止まりませんでしたし、問題行動が多かったので、びわこ・栃木と施設を転々とし、最終的に施設から逃げました。

 好きなようにやりたかったからです。施設を出て1年するかしないかで、また、逮捕されました。その時、東京拘置所の中で前の嫁さんと入籍しました。出所して娘も生まれ、家庭を持ったのですが、薬は止まりませんでした。

 娘が1歳になるか、ならないかの時に、僕はまた、逮捕されました。嫁さんが留置所に娘を連れて、離婚届を持って来たのですが、仕切りガラス越しに、何もわかってない顔で僕を見ている娘を見て、このままじゃマズイと思いました。

 そして僕は7年ぶりにダルクにつながりました。7年経って茨城に戻ったら、以前一緒だった仲間が6人、死んでました。

 一緒に薬をダルクの中や外で使っていた仲間もいれば、7年前一緒に生活していた時には順調に薬も止まり、社会復帰間近だった仲間もです。

 それから3年経ち、僕は薬が3年間止まっています。その3年の間にも、身近な仲間が何人も亡くなりました。

 今の僕は10代の時と違い、死にたくはないです。生きたいです。シラフでやったことがないことが沢山あります。

 良いことも悪いこともシラフでは、ほとんど初めてのことばかりです。薬を使わない新しい生き方はとても大変なことが多いです。だけど、大変なことばかりでもなく、やってて良かったなぁと思える時も多いです。

 今振り返ってみると10年前、どうしようもなかったころから、僕は仲間に助けられていたんだと思います。薬が止まり始めてからの3年間も、そして今もそうなんだと思います。

 だから、僕は今、生きています。生かされています。今、僕はそのことを忘れています。だからか、とても苦しいです。

 だけど、今はそれがプロセスだと信じています。信じられるようになったのは、仲間のお陰です。仲間に感謝。

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