【NewsLetter164】薬物依存症のミエハル

 僕は14才から薬(シンナー)を吸い、薬に溺れるようになりました。中学の時からですので、学校をさぼって、よくその時の友達とつるんで快楽にふけっていました。

 中学を卒業する時、進学か、就職か、悩む時がありました。でも、悪くなる事を心に決めてから、どうせ後悔するだろうから、今を生きてやる、と思っていました。

 でも、薬に溺れる日々は堕落していました。そんな生活を16才まで続けていましたが、16才の時に女の妊娠が発覚して、余計に薬に溺れていました。

 その薬でおかしくなった人は噂で聞いていましたが、まさか、自分はおかしくならないだろうと思い、日々、薬に明け暮れていました。

 そんな時、親の友達の息子が、自分の一つ上の中学の先輩で、「なんで働かないのか」とボコボコにやられました。

 なんで僕が働かなかったのか、ということを何も知らないで、よくそういうことが出来ると思い、逆にムカつきました。

 女が妊娠した時のことですが、心と体がバラバラに引き裂かれるような感じだったのはよく覚えています。

 それで僕は働かなかったし、薬にばっかり逃げていました。こんなんじゃダメだということはよく分かっていましたが、ほかに頼るものもなく、薬に逃げる日々を送っていました。

 でも、先輩にやられて、初めて、吹っ飛んでケツを地面につけました。それから体の調子が悪くなって、呂律が回らなくなり、手足がまともに動かなくなりました。

 でも、薬を使ったら元に戻って、ちゃんとしていました。いつまでもこんな調子じゃダメだと思い働くようになりました。でも、薬も使わずにいたら、呂律は回らなくなって、手足もまともに動かなくなり、その時初めて、それを見た親に精神病院へ連れて行かれました。

 その病院はプログラムがあり、まともに動けない僕は、「入院できない」と言われ、通院することになりました。

 そんなことが3か月ぐらい続き、その時に子供が産まれ、僕は体が悪かったけれど、病院の女の所に行きました。2800グラム以下の赤ん坊は保育器に入らなければならなかったので、1日だけ保育器に入り、次の日に初めて抱っこしました。

 「こいつの眉毛、俺に似てんな」と思い、俺の子だと思えて、体を治して働くようになりました。

 でも、そんな生活も、1年でピリオドを打ちました。やっぱりムリなものはムリと割り切れるようになりました。でも、学ぶこともたくさんあり、いい勉強だと感じられるようになりました。

 恨みもありますが、いつまでも引きずるわけにはいかないのですが、引きずっている自分がいます。

 消せないことは消せない、と割り切り、それでも前を向いて進んでいきたいと思います。後ろを見ることもあるけど、それでも前を向いていきたいです。

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