【NewsLetter184】薬物依存症のまさ

毎日が慌ただしく過ぎて、4月という新しい年度が始まるのももうすぐです。私が九州ダルクに来てから7年目に入りました。自分でもこんなに長くダルクにいて、スタッフをさせてもらうようになるとは思ってもいなかったので、とても不思議に感じます。

東京でずっと薬を使っていて狂ったまま、9年前にこの福岡へ引っ越して来ましたが、薬が止まる事も無く更に幻聴幻視でおかしくなり、たった10日間で「こんなところに住めない!」と夫を置いて一人東京へ戻りました。

狂ったまま戻っても、東京に残しているマンションに帰る事も怖くて出来ず、しばらくの間はビジネスホテルやネットカフェを泊まり歩いていました。

お金も少なくなり、ホテルやネットカフェでも常に誰かに監視され、追われていると思って、仕方なくマンションに戻りましたが、生活に必要な物は全て福岡に移していたので、マンションに残っているのは本やCD位で、布団も冷蔵庫もTVも洗濯機もありません。

私が最初に買ったのはアウトドア用の折り畳み椅子と小さいテーブルでした。そのテーブルにお酒と薬を置いて、誰にも文句を言われない飲みっぱなし・使いっぱなしの生活が始まりました。

お酒を飲む時も薬を使う時も、寝るのも全てが椅子に座ったままです。お酒が無くなれば、酒屋に電話して配達してもらい、薬がなくなれば一人では怖くて外に出る事も出来なくなっていたので、以前働いていた会社の同僚の男の子に付いてきてもらって薬を買いに行ったり、届けてもらう生活を繰り返していました。

その時は止められなくて苦しかったか、というとそれだけでもありません。薬で生活が破綻していく前までは必死になって、誰にも相談せず、自分の力でどうにかしなければいけないと思いながら生きて来ました。

実際は、常に誰かに支えられながら生きて来られたのは言うまでもありませんが、その薬だけを使っていた時は、全ての自分の責任を放り投げて逃げたので苦しくても楽だったところも多分にありました。

しかし、この先自分が生きていく事をぼんやりと諦めてもいたので、薬が無ければ私は違う形で潰れていたと思います。

薬があったから今迄、生き延びてこられたのです。でも使い続けながら生きていく事はもう出来ないと思い知らされるまでは、そこから時間はかかりませんでした。

ダルクに繋がってからは薬だけが問題で止まれば、また、自分はやっていけると思っていましたし、「それがまさの生き辛さだよと言われても、私はそれで40年も生きてきたのに、そんな事言われる筋合いはないと心の中で怒っていました。

仲間が言ってくれた事が当たっていたからこそ、反応していたのですが、今になっても苦しいと思うところは前と変わっていません。

古い生き方を手放すのが大変で、苦しくて、素面なのにどんどん、ドツボにはまっていきました。今も自分が楽になる為には何をすれば良いのかは、多くの仲間が教えてくれています。

その道具を使えなければ、私はまた病気の中に戻ってしまうだけです。今は私が暫くの間、悩んで悩んで、やっと決めた事があります。

決心しても、尚、それを口に出して伝えるのが怖かったし、不安や恐れも出てきます。決心したはずなのに揺らいでしまったりもします。

でも、もうあの時のようには戻りたくないのと、今、やらなければいけない事をやるために今回のNLで思い出す事が減ってきている昔の事を、少しですが書いてみようと思いました。

夫は、私が東京でこんな生活をしていた事は知りません。もしかしたら、ダルクのホームページで目にするかもしれないと思うと、この原稿を書くのには勇気が必要で、書き終わった今、結構ドキドキしています。

カテゴリー: 184号(2015年3月), ニューズレター タグ: , , , パーマリンク