【NewsLetter225】ご支援ください 九州ダルク支援会 八尋光秀

1994年の夏、スマイルが福岡にやってきた。スマイルというのは薬物依存症者のアニマスネーム。日本ダルクで回復への道を歩きはじめ、横浜ダルクを立ち上げ、九州にダルクをひろめるためにやってきた。

ダルク(DARC)は、Drug Addiction Rehabilitation Centerの頭文字をとったもので、薬物依存症から回復するための自助グループである。当時いたるところにシンナー少年はいた。都会のビルの片隅で、農村のビニールハウスの端っこで、廃屋やさびれた観光地の廃墟で、ビニール袋や空のプラスチックコップでシンナーに溺れていた。

シャブ漬け少女も少なくなく、触法あるいは覚せい剤事件として担当した。試験観察で出せば、すぐに親が電話してきた。「なぜ出したんですか、またやってます。少年院でも刑務所へでも早く入れてください」。

執行猶予で自由になった20歳はじめの女性は、心配顔の親をふりきって、裁判所の坂を下りたところで待つ男について行った。いや男がもっていた依存薬物に寄り添つた。

思春期の入り口から薬物に絡めとられ、依存薬物の中にしか居場所をもてなくなっていた。そんな未成熟な薬物依存症の人たちをどうやって社会に取り戻そうか。弁護士も医師も保健師も家族も社会もみんな無力で何のアイデアも湧かなかった。そこにスマイルがダルクを連れてやってきた。

スマイルはその冬にカトリック教会の一室を借りて、九州ダルク相談室を開設した。薬物依存症からの回復のためには24時間対応が必要だし、できればナイトケア併設が望ましい。

薬物依存症者はいつもどんなところでも生命危機の状態にある。教会に泣きついて相談室とともにデイ・ナイトケアをはじめた。

資金はない。教会と信者・支援者の善意を頼って、翌95年に九州ダルクを開設した。96年に作業所とグループホームの併設で公的支援が決まった。

でも公的支援だけで運営はままならない。「善意もお金も限界をこえてご支援ください。でも運営に口はださないでください」というのがダルク支援の原則。

設立から運営すべてを薬物依存症者だけで行う。そこで奇跡をいくつもみた。薬物依存症でどん底にあえぐ若者が回復していく。なんどもなんどもチャレンジしながら仲間とともに回復の道を歩んでいく。失敗して依存薬物を再使用する仲間にも、回復途上で依存薬物によって死にゆく仲間にも、大きな意味が与えられた。

薬物依存症は人を選ばない。性別も学歴も職業も関係はない。男も女も富める者も貧しい者も高学歴でも学校に行かなくても、医師も教師も弁護士も無職者のだれもが陥る。死に至る病であり治らない病、だが「仲間と居場所」があれば確実に回復できる病だ。

スマイルからツネとタメがトキにたすきを渡して、今年で25年の時を紡ぎ、薬物依存からの回復の道を守り続けている。

九州ダルクヘのご支援をよろしくお願いします。

カテゴリー: 225号(2020年3月), ニューズレター パーマリンク