新聞に掲載された写真を探してほしい。新聞社の、私が勤務する部署に電話が回ってきたのは3月9日。たまたま、15年前に私が取材した記事だった。
夕刊に掲載したインタビュー記事で、「壮大」な計画を語る九州ダルクの創設者・大木文夫さんが写っていた。
このインタビューをきかっけに、当時、誕生間もなかった九州ダルクを取材。同僚の記者にも手伝ってもらいながら、2か月間で30回を超す連載記事を書いた。
だから、九州ダルクとスマイルさん、そして、ダルクにいた人たちのことは忘れられない。
そのスマイルさんが亡くなったことを、この電話で初めて聞かされた。遺影に使用するための依頼だった。はじめに依頼を受けた写真部が見つかられずにあきらめかけていたところで、念のために、とデータベースを担当する私の部署に回されてきた。
資料庫をひっかき回したがだめで、最後はハードディスクに収められた未整理写真のデータを一枚ずつ見ていき、ようやく発見できた。
写真を届けに十数年ぶりに九州ダルクを訪ね、代表の大江昌夫さんに「一番、スマイルさんらしい写真だから」と言っていただいた。
名前の通り、顔いっぱいに笑みを浮かべ、夢を語るスマイルさん。九州にダルクを根づかせようというのが、その時の夢だった。
ひとしきり、思い出話をして帰り際に、大江さんから、「支援する会」に誘ってもらった。
「傍観者じゃだめだよ。見ているばかりじゃ、つまらないだろ」。スマイルさんから声をかけられたような気がしている。
支援というほどのことはできるか、自信はないが、自分にできることを少しずつでも積み重ねていきたい。ダルクの「仲間たち」の努力に負けないように。