福岡県の新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言発令により、今月(2021年5月)の家族会および支援する会につきましては中止といたします。
次回の予定につきましては、次号ニュースレターにてお知らせします。
福岡県の新型コロナウイルス感染拡大に伴う緊急事態宣言発令により、今月(2021年5月)の家族会および支援する会につきましては中止といたします。
次回の予定につきましては、次号ニュースレターにてお知らせします。
「ダルクニューズレター最近は仲間の話が続いたので書いてください。」
え! さて、何を書とうかなと思う間もな く、明日には原稿が揃いますから明後日には通巻番号がおりて印刷にかけます。 と!また急ぎで作成です。だいたいいつもの無理強いで、トキとルイさんから… 特急仕上げです。いつもの緊急事態です。
と、この様にニューズレターは作成しております。なので通常のデザインは速攻に…と言ってもレイアウトは「見やすく、読みやすく、綺麗に」をモットーに作成していますが、皆さん知何でしようか!? それから!
ダルクメンバーの原稿はかなりの文字数で読みごたえがあると思いますが少しはイラストを交えて心にやさしく届くようにとデザインしております。の----- ですが、――なかなか時聞が なさすぎて、レイアウトもチョットねえ!と思われる方もおられるかもしれません。それでも毎回趣向をこらして精進して(つもりで)おりますので、あたたかく見守りください。
ところで、早くも梅雨入りしたのでしょうか。?コロコ口変わる天気で人の身体も変化についていくのがたいへんでしよう。かく言うわたしも気圧の変化にカラダがついていきません。この時期情緒不安定になるかたもおられるでしょう。
また、ダルクメンバーにとっても特に今は、大変な経験をしていると思います。コロナ禍での外出を控えたプログラムを淡々と続けていかなければなりません。そこでこんな時こそ心から楽しむ気持ちをもつ事ができればなぁと---。
私自身、まだまだ経験不足で上り下りの人生ですから下りのときも楽しめる心を持ちたいとおもいますね。とは言え、ほとんどの人の今の生活状況はすべて緊急事態でしょう。 ほんまに やっとられんわぁ?と(ここだけ関西弁)! ! そこで なぜか関西弁になると真剣な悩み事など漫才のように感じ軽く聞とえるものです。そのくらいの気持ちで色々な事に対処できるならいいなあ?と最近はよく感じるものです。
あかんわ! そらあアカンって!
っマジで あかん! そらあないわあ
通常は平静を保っている心もたまには、焦りや不安イライラがからだの外に出てきますが・・・まあまあ
ええんちゃう! ええやんl
ごつつ ええで! ええなあ?。
と今コロナ禍の現状現実を受け入れ供に生き抜いていきましょう。と、少しオーバーな表現かもしれませんが、この緊急事態宣言発令中の期聞は気をつけて過ごして行かなければなりませんね。
時々メンバーと美野島司牧センターのベンチに腰かけて話しをするのですが、みんな個性豊かな考えや体験の持ち主ですね。ザックバランな会話ではニューズレターの原稿のみで知る彼らより・面白い会話表現を・みせてくれます。まあ~いろいろな話しを聞くと私の人生のまだ半分ぐらいのかれらは私よりも豊富な経験をもっているのでしょう。
または、面白く話してくれるので実際につらい事でも後日談には気持ちも変わり軽い心に言葉も軽くなるのでしょうか。それでも、心地よい感情が持てる事は周りの人も心地よいと感じるでしょう。
人と人が普通に接し、会話する事が当然のこととなる様に、緊急事態とコロナ感染拡大の終息を願うばかりです。
いつも食品や洗濯洗剤など日用品のご寄付をありがとうございます。皆様のお心遣いに心より感謝申し上げます。お米のご寄付もありがとうございます。
お米以外でもご家庭で余っている食品がありましたら、どうかご寄付ください。主食となるパスタやうどん、そうめんなどの乾麺も大変助かります。
経費節減のため、レトルトや缶詰など保存のきく食料品、トイレットペーパー、台所用洗剤、掃除用洗剤などの日用品につきましては、引き続きご支援よろしくお願いします。
連絡先 九州ダルク 092-471-5140
最近、ダルクの中での役割や仲間のサポートを降りて、今自分に出来ることだけをやらせてもらっています。
役割や仲間のサポートをやっていた中で、自分の問題や生きづらさに振り回されて、常に頭の中が忙しかったです。周りの評価ばかり気にして、自分のことは後回しにして、だんだん被害者的な考えが強くなりました。
失敗して自分の問題を振り返っても、内心では何かのせいにしているから、行動は変わらず、何度も同じ失敗を繰り返しました。それでも、自分は出来ないという事を認めることは出来ませんでした。
薬を使い始めた頃とパターンが同じでした。
仲間から必要とされる事は、自信がない自分にとっては嬉しかったけど、自分の為にやるという動機からは大きく外れていました。
自分は大学を辞めて地元に帰ってから薬を使い始めました。家族に対して隠れて薬を使っている罪悪感もあり、自分は役立たずで家族の足手まといになっている感覚だけが強くなっていきました。
自分の事が嫌いでした。それを誤魔化すために、薬はどんどん止まらなくなりました。
今回、出来ない事を認めると人から見放されるんじゃないか、また昔みたいになるんじゃないかという考えからずっと抜け出せませんでした。でも認めて、役割やサポートから降りても、仲間は何も変わりませんでした。
今まで人を基準にした物差しでばかり考えて、自分で考えて自分で行動するということをしてきませんでした。自分の事すらできないのに、人のサポートをすることの自己犠牲の感覚で気持ちよくなっているだけでした。
行き詰まれば何かのせいにする、そういう薬が必要になるような生き方を変えていきたいです。
今の自分に出来ることは何なのか、考えて生活しています。色々な形での回復があると思うのですが、本当の意味で自分を大切に出来るように回復していきます。
最近体重が増えて少し身体が大きくなりました。今までずっと仲間からは、飯を食べて体重を増やしたほうが良いと言われていたけれど、頑固な自分は人の話を聞けませんでした。今では、身体が大きくなったと言われることが嬉しいです。
なんでもそうですが、すぐに自分の考えに固執して人の話が聞けなくなるので、仲間のアドバイスを聞くことの大切さを実感することが多いです。回復していく中で、仲間を必要としていることに改めて気付かされました。
薬物から抜け出せなかったあの頃は本当に絶望しかなかった。
一日中電気のついていない、カーテンは閉めっぱなしで光は入ってこない部屋で、テレビは見ないのに、自分の行動音が人に聞こえないようにと付けていた。
5秒に1度は深い溜め息をつき、鏡に映る自分の痩せこけた姿を見て、また深い溜め息の繰り返し。窓の外から幸せそうにしている人たちの声が聞こえるたびに、何もかもぶち壊したくなる。
家の中で母と顔を合わせればいつも、泣きそうな顔をしてこっちを見ていた。すれ違うたびに小さい声で、「いい加減にしてよ」と聞こえるように言う。
自分の部屋に戻ると下の階から母の奇声が聞こえる。そのせいで、自分のせいで家族がバラバラになりかけていた。父に何度も頭を下げ、もう薬は使わないと誓った。
それなのに30分後にはまた薬を買いに行った。
止まらなかった。助けてほしかった。本当に苦しかった。自分が自分じゃ無くなっていく感覚を、自分が一番良く分かっていて怖かった。
薬はもう使いたくない。でも、使わないと自分を制御できない気がして使い続けていた。生きることに疲れ、もう人生を終わらせたかった。生きているだけで迷惑をかけている事が嫌だった。
でも、生きるために使わないといけない。どうしたら良いのか分からなかった。そんな中でダルクにつながることが出来た。これで使わずに済むと安心した。
長いこれからの人生を苦しみながら生きていくのか? それとも施設でプログラムを受けて幸せに生きていくのか?
自分は幸せに生きていくことを選んだ。ダルクにつながり、確かに上手く薬は止まっている。だが何故か苦しさを感じる。薬を止めるだけで、使っていないだけで、生き方は変わらなかった。
むしろ使っていた時よりも苦しくなっている。薬物を使った事はきっかけに過ぎなかった。自分の生き方に根本的な問題があった。プログラムの中でそこに気づいた。
この8年間は色々あった。色々な自分を知ることが出来た。現在ダルクに居ること、この自分の選択は間違いではなかったと振り返って思う。
それでも薬物を使っていないから何もかも上手くいくわけじゃない。自分が思っているほど現実は上手く行かないものだとも知った。
苦しいこともある。嫌になることも、回復を上手く楽しめず逃げたくなる時だって、人間関係でぶつかる時だってある。多分これからもそれは続く。
だからといって、薬を使う必要はもうないということも知った。以前までは解決のつもりで薬を使ってきた。使うことでどうなってきたかと言えば、解決どころか事態はいつも悪化していた。
薬がないと生きられなかった自分と、今の自分は違う。俺には仲間が居る。プログラムがある。スポンサーが居る。ダルクがある。ハイヤーパワーは自分を見捨てたりしない。感謝。