10月の家族会と支援する会は開催します。
家族会
日時:2022年10月23日(日) 午前10時30分から(午前10時受付開始)
場所:福岡市市民福祉プラザ(ふくふくプラザ602号室 福岡市中央区荒戸3丁目3番39)
支援する会
日時:2022年10月27日(木) 午後7時から
場所:福岡市市民福祉プラザ(ふくふくプラザ602号室 福岡市中央区荒戸3丁目3番39)
連絡先 九州ダルク 092-471-5140
10月の家族会と支援する会は開催します。
家族会
日時:2022年10月23日(日) 午前10時30分から(午前10時受付開始)
場所:福岡市市民福祉プラザ(ふくふくプラザ602号室 福岡市中央区荒戸3丁目3番39)
支援する会
日時:2022年10月27日(木) 午後7時から
場所:福岡市市民福祉プラザ(ふくふくプラザ602号室 福岡市中央区荒戸3丁目3番39)
連絡先 九州ダルク 092-471-5140
河本先生の講演での話を聞いて、家族、特に母親の事を思い出しました。
自分は20歳の頃に薬を覚えて、自分の感情や気持ち等を話せなくなりました。本当は言いたい事、伝えたい事は山ほどあるのに、言いたい事を飲みこむ様になりました。
これをずっとやり続けて、人を恨んだり、物に当たったりして、終いには仲の良い人に当たってしまいます。その後、必ず嫌な気持になって薬を使っていました。
そんな自分が本当に嫌になります。そして、それをごまかすためにまた薬を使い、現実を見ない様にしていましたが、精神状態がおかしくなって、それを抑える為に、今度は違う薬を使って何とか、平常心に持っていこうとしました。
しかし、結果はもっとおかしくなり、言動がめちゃくちゃでした。判断能力はまるで駄目で、自分がおかしいかなんて、分るはずもなく、自分が正しい。幻聴、幻覚が事実だとずっと思っていました。
この事に気付いたのは、体から薬が抜けた後で、薬を使った事に対してすごく後悔しました。
講演の話を聞いて、自分の母親も同じではないかと思いました。母親は酷い酒飲みで、いわばアルコール依存症ではないかと思います。毎晩飲んでいて、いつも姉と自分が母親の酒を買いに行くのが本当に嫌でした。
小さいサイズならいいですが、1ℓのパックは大きいから、酒を飲んでいるのを父親に見つかり、そのことで父親が母親に暴力を振るっているのを、目の前で見ていました。こんな両親みたいにはならない、とずっと心に決めていました。
そもそも、殴ったり物を投げたりする姿を見たくないから、母親に酒を買うのが嫌でたまりませんでした。階段から落ちたり、急性アルコール中毒で何回病院に運ばれたりする母の姿を見て、いつか死ぬんじゃないかと思っていました。
そんな親になりたくないと思っていたのに、自分が同じような生活をしているなと改めて気付かされました。確かに自分は親と違う人生を送っているのかもしれませんが、結果は同じです。
自分はこそこそしながら薬を使うし、酒も飲むし、周りの人達には本音で話さない。平気で嘘、誤魔化して、どうせ分ってくれないんだろうと勝手に決めつけていて、本当の事を話しても信じてくれないんだったら話さないと決めていました。
本当は助けてほしいし、信じてほしかったです。今でも自分の気持ちを誤魔化したり、本音で話さない時があります。その時は苦しくて、正直になれない自分が嫌になりますが、そうならない為には、行動に移す事。今は人に話す練習をしている所です。
今回のフォーラムは本当に自分にとっては参加できて良かったし、気付きもありました。この先自分が良くなっていくと前向きにとらえる事ができ、よしやろうという気持ちになったフォーラムでもありました。
これからは自分の回復をあきらめず、良くなる事を信じてやっていきます。
河本泰信先生が今回のテーマ「ねたむ」「すねる」「ひねくれる」回復を邪魔する三つの「ね」について話してくれました。
その事で自分に当てはめて考えさせられました。ダルクに繋がる前はその三つの「ね」を全て自分の思い通りにいかない時に上手く利用して、家族や彼女、友達をコントロールしていました。
自分にとって「ねたむ」は、良く考えると十歳の頃くらいから出ていました。その当時、習い事でサッカーとスイミングスクールに通っていましたが、小学校の勉強にすらついていけず、思う様な結果が出せない分、スポーツで結果を出そう、認めてもらおうと頑張ってきました。
しかも、自分は何でも一番にこだわり周りの人の評価ばかり気にして生きていて、一番になる事で周りから注目を受けて褒められ、出来るやつだと思われたいが為にやってきました。
それでも自分の思う結果を出せず、自分より目立ち、注目を浴びている人を見てねたみました。
中学校に上がると、その思いは余計に強くなっていきました。人の評価の中でしか生きる事が出来ず、それなのに自分の為にと行動を変える事は一度もしてこなかったです。
やっているつもりになっているだけで、自分が成長する為に努力をしてきませんでした。他の人は何の努力もせずとも思い通りの人生を歩んでいるんだろうとねたんでいました。自分に起きる不幸は、常に誰かのせいで、薬物を使った事も、使い続ける理由も、人のせいにする事で言い訳にしてきました。
こんなに生きづらく苦しい、何もかも上手くいかない人生を歩んでいるのは、あの時あの人が認めてくれなかったからだとか、怒ったからだと、自分に原因がある事も見ずに過ごしてきました。そうしないと生きていく気力を失うと思っていたからです。
薬物を使い始め、「これなら上手くいく」と思ったのは最初の3カ月くらいまでで、薬物を上手くコントロールできているという錯覚に陥っていましたが、実は自分自身が薬物にコントロールされていました。
常に薬物に囚われていて薬物を手に入れる為にお金が必要で、お金を手に入れる為に悪い事を沢山しました。家族や友達を脅したり、彼女に暴力を振るう事が止まらず、盗みも沢山しました。
薬物が無いと動けず、人とは直ぐ衝突し、情緒不安定で全てがめちゃくちゃなのに、それでも「まだ薬を使い上手くやれる」と思っていました。使い続ける事で物事は悪化し、「俺の人生なんてこんなもの」だとあきらめていたのかもしれません。
でも、薬物を使っていない今でも、そういう事が起きているんだなとフォーラムに参加する中で気付きました。
施設に居るのに、今も回復、成長が出来ないのは周りのせいだと結局、人のせいにしている事、自分に起きている事、失敗の原因を見ず、同じ事を繰り返しても自分の考えを手放さない所が生きづらいんだと思います。
今回のフォーラムに参加して、そんな生きづらさを手放したいと強く感じました。上手くいかない事なんて当たり前で、その中でも自分の回復を誰よりも信じて取り組んでいきます。
新型コロナの感染者数は減ってきているものの、高い数字で推移を続けているため、今月(2022年9月)の家族会と支援する会は中止とさせていただきます。
ご家族および関係者の皆様にはご迷惑をおかけいたしまして申し訳ございません。
ご連絡先
九州ダルク TEL/FAX 092-471-5140
7月に7年のクリーンを迎えました。茨城から九州に来て5年半が過ぎ、振り返ってみると色々な事がありました。
今までやって来なかった事も沢山ありました。今まで自分は何か問題があると、自分はちゃんとやっていると考えて、相手のせいにしてきました。
今でもその生き方は抜け切れていません。その度に自分の問題だけ見るようにと言われます。その問題を見る時に言い訳が出たり、聞かれる度に言う内容も変わりますし、正解探しをしたりもします。
新しい生き方を探して筋トレやパソコン、ジョギング等をやるようになりましたが、最初の頃は出来ない姿を見られるのが嫌で、自分には必要が無いと避けていましたが、仲間の「いいからやってみて、最初から出来る人はいないよ」という言葉が背中を押してくれ、進むスピードは遅いけど少しずつ出来るようになりました。
あのまま必要が無いとやらないままだったら、こんな気持ちは味わえなかったと思います。
自分は感情を表に出すのが苦手ですが、九州に来てすぐの頃、カウンセリングに行く機会がありました。鳥取、岡山、九州の仲間が沢山いる前で人が怖い、信じられない、という事を話しました。
自分は子供の頃、小中高の12年間いじめにあっていました。学校にも居場所がなく、家でも、社会に出ても、中々上手く居場所を作る事が出来ませんでした。これをしたら、これを言ったらどう思われるか?など、他人の評価が気になり、人に合わせようとします。
上手くいかないと相手のせいにして、相手が悪いと裁きます。仲間の中で、この人ならいいけど、この人はダメと自分で上下をつけ、自分の中で裁きます。
でも、同じことを人にされたら自分が被害者だと感じます。子供の頃にいじめにあっていたのは、本当は自分のそういう所が原因なのかもしれません。
昔は恨んでいた事についても、自分のやってきた事を振り返って見ていくと、恨みの気持ちが少しずつ消えていきました。
家族に対してもそうです。何で自分だけこんなに苦しいのを誰も分ってくれないのかと逆恨みしていました。自分勝手に薬を使い、家を飛び出して刑務所に入り、自分で決めてダルクに帰って来たのに人のせいにしていました。
九州に来てからは、仲間の力を借りてきたからここまで続いています。でも時々忘れそうになります。仲間は大事だと頭では分ってはいても、まだ自分の力を使いたくなる時があります。
先々の事を思うと焦りが出てくる時もあります。そんな時は、今まで一人で生きてきて楽だったかどうかを思い出す様にしています。
自分は今年51歳です。家出して一人ぼっちでも薬を使いながらでも生きてこられたと勘違いをしてきましたが、生きてて楽じゃなかった。
これからは仲間と共に楽に楽しくありのままの自分で生きていきます。