【NewsLetter208】弱さへの心配り(続き)コース・マルセル神父

15年ほど前、ダルクでリハビリをへた若者が近くのアパートで一人暮らしを始めた。ある時、招かれた教会の集いで彼は体験談を語った。依存症の人が自分の体験を話せるようになるのは大きなステップだ。

が、その数日後、彼はアパートで自ら命を絶った。また、元気に見えた青年が依存症治療の通院先で自殺したこともあった。

一方で社会復帰して仕事を得たり、家庭を持ったりするようになる人を見送り、見守っていく喜びもある。

ダルクのスタッフは回復した薬物依存症者で、弱さを糧に弱さでつながリ、助け合って回復を目指している。九州ダルクで回復した青年たちは九州の他県にダルクを作っていった。

「ダルクという希望の種が九州全土に撒かれた」

神様の居場所はどこに?

私の内の見えざる神を感じて洗礼を受けた人たちもいる。それは、小さく弱く貧しくされた人たちをこそ大切にする神の愛だ。弱いことは悪いことではない。

「弱い人たちがいなくならないのは幸いなこと。けんかをするのは強い人たちだから。弱い人たちは団結できる。それに、弱く貧しい人の中には神様の場所がある」

私の揺らがない信念だ。

<弱さへの心配り>NewsLetter206号

 

 

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【NewsLetter208】九州ダルクを支援する会 佐藤

私と九州ダルクとの出会いは、今年で11 年になリます。今回ニューズレタ一を家族の方も書いては、との事で改めて私の十数年を振リ返っています。

当時、私の息子は精神科のクリニックに通院していて、よく私が車に乗せて連れて行きました。そこでは親として愛情を注いでくださいと言われ、親としての責任を強く感じました。そして苦しみました。

本人は処方薬を飲んでいましたが、段々おかしくなりました。訳の分からない事を言って、自傷行為。そしてとても普通でない行動にこれはダメと思い、精神病院に入院。そして3 ヶ月後退院。良くなったと思いました。でもそれから1 年間くらい入退院を繰り返し、どうしようもない状況でした。

そんな時に病院に九州ダルクから面会に来られていて、病院の看護師からダルクの事を聞き、初めて薬物依存症に向き合うように私たち家族はなりました。

病院に面会に行く度にダルクに行けとコントロールしていましたが、なかなか本人は行くと言わない。そしてトキさんから面会に行かないでくださいと言われて、私は出来るが、母親はどうなのかと思っていましたが、骨折で入院して面会に結果的には行けませんでした。

そして、本人は沖縄ダルクヘ飛び立ちました。回復の第一歩です。トキさんの面談を受け、本人が決めて、行きました。

今は少し分かるようになリました。何もしない事が本人の自立に必要だと。私達家族も薬物依存症が病気であり治らないでも回復はありますよと思えるようになリました。

現在、家族会や自助グループで12 ステップを学び、ミーティングをする中で私も楽な生き方ができるようになっています。依存症者も大変ですが、家族も大変な思いでいます。同じように苦しんだ家族の体験を聴き、話し、寄り添っています。我々家族も仲間を大切にします。

九州ダルレクを支援する会でお手伝いする中で、アディクトと接する事もあり、元気な子、そうじゃない子、薬物を使わない生き方をして仲間の中で回復していくのだろうと思っています。

先日、使わない衣装ケ一スを何個か持っていきましたが、なかなか備品もなく大変な様でした。施設が新しくなりましたが、予算もなく、家族の方、支援者の方に今一度献金をお願い致します。

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【NewsLetter208】九州ダルクを支援する会 濱津

私が初めて九州ダルクに出会ったのは、16年前である。息子が薬にはまリ闇金に手をだし、追われるように閉鎖病棟のある精神病院に逃げ込んだ。1か月後、誰に聞いたか、名古屋ダルクに行きたいと電話連絡してきた。

当時私はダルクの事をよく知らず、つながつていた自助グループの仲間に相談した。その仲間は九州ダルクがあるから、そこに相談したらと、電話番号を教えてくれた。

ダルクに行くと当時、施設長である中嶋清治(タメ子)さんが相談に乗ってくれた。タメさんはすぐに息子に会いに行き、息子を沖縄ダルクに送る手配をしてくれた。

タメさんは本人を病院から出したら、その足で空港に行き、飛行機に乗せるよう私に言って航空券を手渡した。

私は病院に行き退院の手続きをした。その病院の担当医はダルクを信じていないようで、そんな依存症者がやっているようなダルクにいれても?と不機嫌そうに私には見えた。

病院で処方された薬のせいかロボットのような動きの息子が、飛行場の検査場に入って行く後姿を私は見送った。

こうして薬物依存症の息子の回復の旅が始まった。息子はその後沖縄ダルクから逃げ帰り、仕事を始めたがスリップを繰り返し、警察に捕まり、3 年間の執行猶予を得、タメさんの勧めで再び沖縄ダルクに帰って行った。

その後15か月間のダルクのプログラムを受け、施設を出たがそう簡単に薬は止まらなかったが、スリップすることにより仲間の力を借り、さらにプログラムに入って行った。

今現在は薬が止まり結婚し、社会で働いて生きている。

当時のタメさんの印象は図体がでかくデニムのオーバーオールに野球帽で、見かけはとても頼れるような人ではなかった。今の施設長である大江さんも、ロン毛で異様な雰囲気を醸し出していた。

私は社会の常識の中で生きてきたので、薬物問題に関する知識がなく、またダルクに関する認識も全くなかった。それで、九州ダルクの第ー印象は本当に悪かった。

その後、自助グループ、家族会、フォーラムなどで家族の話、本人の話また専門家の話を聞き薬物依存がどんな病気か学んだ。九州ダルクを支援する会も毎月参加している。そういう中で依存症者本人と会う機会も多く、回復していく本人の変化はすごい。

前施設長の中嶋さん、現施設長の大江さんもしかリ、そういう回復のプログラムにつながつている本人は自分の正直な感情を常に意識し自分を顧みている。

薬物依存症者が薬を使うのは当たリ前で、依存症者の薬が止まり回復するのは奇跡だという話を聞いたことがある。息子の回復に関わってくれた九州ダルクに心から感謝をし、支援を続けたいと思っている。

追伸: 九州ダルクの経済状況は常に厳しく、献金、献品等支援のほどよろしくお願いします。

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【NewsLetter207】薬物依存症のミヤ

薬物依存症のミヤです。ダルクに繋がつて約10年になリますが、今回で3度目の手記になります。今回は「九州ダルクに繋がつて」というテーマで作文したいと思います。

今年の2月24 日に茨城ダルクから福岡の九州ダルクヘ移動になりました。当時は、理想ばかり追求して自分の行動を省みずに、問題が起こっても他人の仕業にしたり、無理矢理に正当化していて苦しい状況が続いていました。

プライドが邪魔して、生き方や考え方を変える事が出来ませんでした。九州ダルクに来て一週間が経った頃、堪えられないほどの苦しみに襲われ、その感情が怒りに代わり、どうにもならなくなり、仲間の助言を聞かずに施設を退寮し、働きました。

施設を退寮し、福岡の街を歩きました。クスリを使い、歩きました。気づいたら、足裏の皮が擦れて出血していましたが、それでも歩き続けました。

放浪生活が一週間過ぎた頃、仕事に就きました。建設業の請負の仕事でしたが、一生懸命に仕事しました。毎日4時に起床し、夜8 時まで働いていました。熊本の現場を任されるようになり、毎日が充実していましたが、それでもクスリは止まりませんでした。

3 か月くらい経った頃、クスリを使い過ぎて、仕事を当日欠勤してしまい、連続して使うようになり、仕事も辞めてしまいました。ある日、トイレにネコが入ってきて、話しかけてきました。幻覚と幻聴だと理解していましたが、恐ろしくなり、九州ダルクに助けを求めました。

トキさんとダルクの仲間は僕に、「戻ってきてくれて有リ難う」と温かく受け入れてくれました。本当に安心しました。その時、自分に変化を感じることが出来ました。まだまだ書きたいのですが、有り難うご ざいました。つづく。

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【NewsLetter207】薬物依存症のバス

皆さんおひさしぶりです。依存症のバスです。今回はバリコンベンションの事を書きたいと思います。

去年に引き続き今回も行ってきました。バリ。今年は鳥取ダルクの仲間4人と九州ダルクの先行く仲間と合わせて6人でした。2 回目のバリですが、相変わらず行く前は緊張していました。

今回も色々な事を体験してきました。バリでの目的はNA コンベンションで、空いた時間は仲間とサ—フィン。幸せな日々、でもやる事はやる。

今回は前よリも歩き回りました。移動手段は常にウォーキング。それも何万歩という程歩く。でもこれも仲間と一緒だから出来る事。仲間とぷざけた話をしたり、面白い話をしたりしている間にコンベンション会場につきました。

会場に入れば、見渡すかぎり外国の人ばかり。日本語を話してももちろん通用するわけが無く、避けるようにその場を後にしようとすると、そういう時に限って話しかけられてタジタジになる。

本当に中学校も真面目に行ってなかったから、基本的な単語も分からない。だけどNAメンバーは言葉はいらなかった。言葉は通じなくても分からなくても伝わる。

色々な国から集まっていて、バリ、オーストラリア、中国、韓国、ロシア等々、色々な仲間が居た。仲間とフェローシップを取ったリ、写真を撮ったりした。皆温かくていつでもウェルカムだ。それが仲間の良い所。

コンベンション最終日のカウントダウンにも参加させて貰った。39 年のクリ—ンからカウントダウンは始まった。そこからだんだん自分のクリーンの年数に近付いてきて、5年のコールの時に僕も立ち上がった。

そこに居た大勢の仲間が僕の方を見て笑い、握手をしてくれた。中には「バス!」と僕の名前を呼んでくれる仲間もいた。

あの感覚は何とも言えないし、ただただ感動したし、興奮していた。また一つ良い思い出が増えました。仲間にあの時出会っていなければ、間違いなく今の自分は無かったと思う。

これもまた仲間に感謝。人生色々嫌な事もあるけれど、頑張っていれはそれ以上に楽しい事もこの先待っている。そう信じています。

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